字詰め 1

ありがたいことに独立してからというもの、
営業に励むこともなく多くの受注をいただいている。
と同時に、多くの場面でデザイナーとしての初心に立ち返る。
デザイナーならではの、
独特に研ぎ澄ます必要がある、久しぶりの感覚である。
初心に立ち返るという時に、頭のどこかで師匠の教えを復習している。
感覚と手ぐせは染み付いているものの、
過信しないように俯瞰した視点で注意を払う。
デザインやバランスだけではなく、
その先を見据えた視点。
プラスして、意識のどこかに師匠の赤ペンチェックの視点が根付いている。
当時素人の私は、ひたすら文字組みの基礎ばかりの日々であった。
先輩の指導含め2年~3年はひたすら「字詰め」の繰り返し。
ミリ単位の修正が多かった上に、版下や写植時代の話 等々、
文字にまつわるあれこれご教授いただいた事を今でも覚えている。
思い出はさておき、
ここ最近電車に乗っていると、そんな「字詰め」の重要さを改めて思う。
山手線では中吊り広告が廃止されたものの、
学生が美容の広告をネタに話している様子を見ると、
まだまだ車両広告には訴求力があるようだ。
訴求力につながる要素として、企画や文言、デザインやバランスなどが
重要なのはもちろんだが、、、
「字詰め」、ここの丁寧さでデザイナーの基礎力すら計れてしまうと感じている。
あぁ、この広告は字面(じづら)がガタガタだ、
これはプロがしっかり組んだんだな、など、、勝手に想像を膨らませている。
バランスによっては気持ち悪さすら感じてしまう。もはや病的ではある。
一見綺麗な見出しや目立つキャッチコピー…
惹きつけは十分にできているのであろうし、印象や雰囲気で魅せるのは結構。
しかし雑な「字詰め」には、心理的な心地よい誘導と優しさを感じられない。
何を言っているのだと思う方も多いだろうが、
耳から入る情報にだって、必ず「心地よさ」が付随する。
プロのライターがつくるキャッチコピーひとつにしても、
頭の中で復唱する際には、
気持ちの良いリズムや響、そして収まりの良いバランスがあるはずだ。
目で見るキャッチコピーや文言も同じ。瞬間の印象がダイレクトに届く分、
美しい字詰には知らぬ間に「心地よさ」を感じ取っているはず。
筆跡心理学があるように、無意識に作り手の性格までをも感じとるのが、
文字のバランスである。
勝手に大きな話に膨らませているのだが、
心地よい「字詰め」のバランスが見えるようになった時に、
紙面構成のバランスや、余白の心地よさも見える一歩になった気がする。
この一歩は、決して小さな一歩ではなく、とても価値ある大きな一歩である。
まずはこの場を借りて、
あのころ何度もチェックいただいた師匠とスー輩先に感謝。
ありがとうございます。